夜の世界

わたしは、19歳の時は、激動の年でした。そして、女の厄年19歳、モロに当たった、と思います。

 

美術系予備校を半年で辞めて、それからは堕落・転落、でした。

イリーガルな薬物に手を出したり、どんな男とも寝たり。

全てが、ぐちゃぐちゃで、壊れていました。

 

「わたしにはもう、持っているものも、大切にしているものも、無い」

 

そう思ったわたしは、すすきののキャバクラ嬢になりました。

ここでひとつ、言っておくのが、「すすきののキャバクラ」は、全国的に見ても、異質である、というところです。

 

いわゆる「セクシーキャバクラ」という業者です。

 

わたしが入ったお店は、海のイメージの店でした。一度、ロッカー室で、パンツのみ、ブラジャー無し、という体になり、そしてその体に、パレオという布を巻きつけます。足には、適当なミュールサンダルを履きます。

 

そこは「ソフトキャバクラ」と呼ばれていました。ここも、すすきの独自のワードです。

ソフトキャバクラなので、ちょっとおっぱいを触らせて、揉ませて、というサービスです。お客さんがキスしてこようとしたら、お店的には女の子は拒否できすが、止むを得ずお客さんとキスをします。

 

19歳の終わり頃から、20歳になって。

3ヶ月間、その店で働きました。

わたしはそれまで、自分のことを「ブスでキモい女」って思ってました。

みんなから、そう言われて、そういう扱いを受けていたから。

 

でも、わたしは、そのキャバクラの仕事を始めて、驚きの連続でした。

 

「君、とても綺麗な子だね。なんでこんな安い店にいるの?」

「こんな安いキャバクラに、君みたいな女の子がいるなんて思わなかった」

 

それまで、キモい女扱いをされていたわたしは、その環境の変化に戸惑いまくりでした。

 

指名も取れた。延長もよく取れました。

 

わたし、いわゆる「スレてない」って女の子だったから、お客さんも、そんなわたしを、よく思ってくれました。

 

職場の人間関係も、平和でした。

待機中、みんなで他愛のないおしゃべりをしていました。

 

そして、はじめての給料日。

マネージャーが、封筒を渡してました。

その封筒の中には、一万円札が15枚も入っていました。

マネージャーはわたしに「これ、多いか?少ないか?」と聞いてきました。わたしは「こんなにいっばいの、一万円札を手にしたのは、初めてです」って、率直に言いました。

 

そのお金で、散々服を買い、CDを買い。

見事に浪費し放題。

 

でも「長くやる仕事ではない」と思っていたので、3ヶ月で辞めました。

 

あの頃、毎日が、すごく楽しかったのを、覚えています。

お客さんに体を触られるのはすぐに慣れたし、お客さんと話していたら、あまりにも楽しい。

 

毎日楽しみながら、あぶく銭を稼いでいました。

 

三十路の今になっても「あの頃は楽しかった」と思います。

恋人

久々の投稿です。

 

わたしには今、お付き合いしている男の人がいます。その人とは、友達の紹介で知り合いました。

一昨年のクリスマス前にその人と初めて対面し、そしてその後に、その人から告白され、お付き合いしていました。

でも、その恋人も、双極性障害と冬の鬱を抱えています。

その人の病気が悪化した時、その人からいきなり別れを告げられたりして別れて、結局相手からまたやり直したいと言われ。

くっついたり離れたりを繰り返していました。

ですが、去年の6月。その人は、お母さんと一緒に暮らしていたのですが、お母さんが心筋梗塞で急逝されてしまいました。

わたしは当時はその人とは別れてる状態でしたけど、その人から「俺の家に泊まりに来てくれ」「俺の今の一番の心のよりどころはあなたです」と言われ。

わたしも、その人の家に行こうとしましたが、周囲から反対されて、行くのを辞めました。

そして、その人と、その人の弟さんで、お母さんの遺品整理や引っ越し作業をしていたら、その人が精神錯乱を起こしてしまい、そして精神科に入院したそうです。

 

それから、半年して。誰も連絡の取れない状態になっていたその人が、わたしたちの共通の友達に、Facebookのメッセージを送ったそうです。

「久しぶり。アジュアちゃんとやり直したいから、彼女に連絡とってもらえない?」と。

そして、わたしもその人とFacebookで繋がり。

「精神科に入院してる。携帯代もずっと払えなくて滞納して強制解約だから、今は携帯を持ってない。そして、アジュアちゃんと、やり直したい。ここ半年、ずっと、アジュアちゃんのことを、考えていた」

と言われました。

わたしその時、正直悩みました。前に付き合ってた頃は、息苦しさを抱えていたし、腹の立つこともかなりありました。

わたしは、共通の友達にその想いを話しました。

そのところ「男は単純だから、ハッキリ言わないとわからない」とアドバイスされ。

 

わたしはその人に「セックスばかりじゃ嫌。本当に愛しているならセックス以外の愛情表現をして欲しい」「過去に関係のあった女性の話はやめてほしい」「わたしのファッションに口出ししないで」と、言いました。

その人は、それを受け入れてくれました。

 

そして、今年の1月21日、その人と街中のカフェでお茶して。

わたしたちは、また、やり直すことに決めました。

 

それからは、ずっと、順調に、楽しくやれています。

わたしと結婚したいとよく言ってくれてます。純粋に嬉しいです。わたしと結婚したいという男の人は現れないと思っていたから。

 

でも、彼氏は現在生活保護を受けて、依然として入院中です。

まず、携帯の滞納代が6万円あって。それを、月々の支給額を積み立てて、最近ようやく返済しました。そして、今度は、一人暮らしの部屋のための、前家賃を貯めなければいけない、と。11月まで入院していなければいけない、と。

 

わたしの今の部屋が、一人暮らしの部屋にしては、かなり広くて、だからこの部屋で同棲しようか、と話していたことも、何度もあります。

でも、医者はそう言われて退院を許すはずがないだろう、と。

だから、やはり、一人暮らしから始まるだろう、と。

 

 

今日も恋人と会ってました。

一緒に街の中をウインドーショッピングしたり、部屋でセックスしたり。

恋人は、セックスで気持ちよくなると、わたしの名前をいっぱい呼んでくれます。

それが、嬉しくて、幸せで。

 

友人関係では最近は辛いことや絶縁もありましたが、恋人とは幸せです。

愛情とは、何?

人からの優しさや愛情を受け取ることが、時折強烈に恐ろしくなります。

そもそも、人に優しくされても、愛されても、心の虚しさは消えません。

 

人と親密になるのが怖いときも多いです。不安になってしまいます。

 

わたしは母親から数え切れないほど「あんたなんか産むんじゃなかった」と言われました。父親からも何度も殺されかけました。兄たちからは毎日殴られて「死ね!」「殺す!」と言われていました。挙句学校ではいじめられ放題孤立し放題。

 

30歳になって、ようやく「友達」という言葉を使えるようになりました。でも「親友」という言葉は、未だに苦手です。

最近対人関係で思い悩むことが続きました。

誰も、わたしと縁が切れても、悲しむ人はいない、と、どこか心の根底で、未だに強く思っているのかもしれません。

 

でも、どこか、寂しくて。誰かに連絡したら電話したくなってしまう。

大きな矛盾。

アロマテラピー

訳も分からず、寂しくなったり、悲しくなったり、ってします。

そんな時はアロマテラピーの力を借ります。すると、心が不思議とほぐされます。

香りは魔法だな、と思います。

アロマオイルも物によっては結構高かったりするので、あまりいっぱいは買えませんが、でもラベンダーとベルガモットはリピートしてます。

生活の木も良いけど、ネットで売られてる、ガイアってブランドのオイルか安価で香りもそこそこいいです。おすすめです。

ふらふら暑い

匿名だから書けることですが、わたしは生活保護障害年金を受給しています。

わたしは実家とは完全に関係が悪いし、まともに働けない障害者なので、受給できました。

 

でも、生活保護を受けていることは、辛いです。本当に。

今おつきあいしている男性がいますが、その人も生活保護を受けて入院中です。

 

生活保護を打ち切っても、障害年金の収入はあります。でも、もちろんそれだけでは暮らしていけません。

今付き合ってる人のことは、また後日書きます。

発達障害

わたしは先天的な、発達障害という障害を抱えています。

発達障害の中でも、「アスペルガー症候群」「ADHD」に該当しています。

学生時代は、孤立し放題いじめられ放題でした。人から見下されたりなめらりたりしました。

自分が発達障害を抱えていると知ったのは、25歳の時でした。病院で検査を受けて、その結果、発達障害でした。

 

自分が発達障害と知って、少し楽になりました。わたしの生きづらさが何故なのか、わかったから。

 

でも、障害を抱えている自分が、強烈に嫌になるときはしょっちゅうあります。

 

今まさに、対人関係での痛手が続き、大ダメージでダウンしてます。

 

こんなに暑いのにシャワー浴びてなくて、髪も肌もベタベタです。

でも今日は精神科の通院日なので、頑張って病院に行きます。

お医者さんに、今の苦悩を、ぶちまけてきます。

誰にでも優しい人は残酷

わたしって、いつも「あちらが立てばこちらが立たず」なのですよね。

 

嬉しいことと悲しいことが、同時にやってきた。

 

わたしはおよそ7年前に、ミクシィである女性とお知り合いになりました。

その人は、わたしより8歳年上で、神戸に住む女性でした。

わたしはその人と瞬く間に、意気投合しました。

2011年12月、わたしは神戸に行って、その時その女性とリアルで対面しました。ネットで知り合って、初めて会うわたしを、家に泊めてくれて、神戸案内もしてくれました。その女性には当時小学生の娘さんがいましたが、その娘さんも、わたしと楽しくお話してくれました。

その女性は「あなたのこと、妹みたいに思っている」「アジュアちゃんのような妹がいたら良いなあ」と言ってくださった。わたしも、本当の姉のように、その人を慕っていました。

わたしは、実の血縁者からは散々虐待を受けました。だからきっと、他人と擬似的な血縁関係を求めてしまったのでしょう。

 

4年ほど前に、またミクシィで、ある女の子とつながりました。その子はわたしより一つ年下で、でも意気投合しました。お互い住所を教え合って、手紙のやり取りや、プレゼントを送ったりもしました。その子は、兵庫県の宝塚に住んでいる子でした。

 

一昨年のことだったかな。

神戸の女性と、女性の旦那さんと、わたしとで、ラインのグループチャットをしていました。わたしはそれで、宝塚に住む女の子を、「お姉さんと住んでるところが近いし、いい友達になれるかな」と思って、その子をラインのグループチャットに誘いました。

 

しかし。

その女性と、その子が、楽しそうに会話している様子を見ていたら、突然、胸が苦しくなって、悲しくなりました。きっと、女性の優しさを独占したかったのでしょうね、わたしは。

わたしはそのグループチャットから抜けて、その女性に「これからは宝塚のあの子を妹のように想ってあげてください」と言いました。その女性は戸惑いながら「あの子はただ、グループチャットで話しただけで、妹のようには思ってないよ!」と言いました。

 

その女性は、わたしのことを心配してくれました。そして、宝塚の女の子は、わたしがグループチャットを抜けたことで、自分もグループチャットを抜けたと、女性から聞きました。

 

それで、また、その女性と、関われるようになりました。

 

そして、話は最近のことになりますが、その女性と、その女の子は、インスタグラムで繋がっていました。その女性は、わたしのインスタグラムの投稿に「いいね!」をつけてくれることはあっても、ほとんどコメントをしてくれることはありませんでした。

でも、その女性と、その女の子は、インスタグラムのコメント欄で、楽しそうな言葉の応酬をしていました。わたしはまた、それを見ると、辛くなりました。

 

その女の子も、精神的に不安定なところがあって、友達の家を転々としていました。

その女性は、その子と実際に会って、その女の子を役所や病院に連れて行ったということを、その子から聞きました。

 

わたしは、本当に辛くて仕方がなった。その女性の優しさを、とにかく独占したかった。でも、その女性のことも、その女の子のことも、大好き。そして、わたしは、人の自由や行動に干渉したくない。

 

「わたしはもう、あの女性から身を引こう」と思いました。

そして、ラインで「さようなら。今まで優しくしてくださってありがとうございました」

と送り、ラインをブロックしました。

その女性はわたしに電話をかけてきましたが、その電話には出ませんでした。そしてその女性が、番号メールを送ってきて「どうしたの!」と聞いてきました。

わたしは「あなたと関わることが苦痛でしかなくなりました。わたしのことは忘れてください。返信はしません」

と返しました。

その女性が、そう言われて、どう思ったかは知りません。
でもその夜に、その女性から番号メールがきました。

「もうあなたを全部ブロックしました。金輪際関わることはないでしょう」と。

 

涙が止まりませんでした。でも、わたしはもう、あの女性も、あの女の子も、関わるのが、辛すぎる。

 

でも、その女性の住所は知っています。

一年経ったら、その女性に手紙を書こうと思います。そして、その手紙で、本心を打ち明けようと思います。

 

その女性が大好きなことは、今でも変わらないから。